日食情報センターについて
 日食情報センターは、1977年暮れに発足した、アマチュア天文家の日食観測遠征のための 情報サービスを行うボランティアグループです。
 年に3〜4回「日食情報」という冊子を発行して、日食に関するる様々な情報を発信しています。
「日食情報」誌の内容は日食の天文学的条件、観測できる地域の現地情報、保健衛生対策、観測機材や観測法、 文献紹介の他、ツアー情報や観測レポートなど、広範囲に扱っています。
 「日食情報」誌の購読については、 日食情報誌のページをご覧ください。


より詳細な情報
 日食情報センターは、1977年暮れに発足した。「日食情報」誌そのものは、 1976年オーストラリア日食に向け、先進的なアマチュア有志が集まり、76年日食の情報や観測法等を広めるため発行されたものである。 しかし、日食終了後はその使命を終えた形になっていた。

 明治以来、アマチュアによる国内の日食観測は長い歴史を持っている。初期の日食に関しては、主に文部省等の国家機関から情報が 流され、各地の教育機関を通じて国民に伝達されることが多かった。さらに日本天文学会の「天文月報」や、東亜天文学会の 「天界」も、積極的に情報提供を行っていた。1963年を最後に、日本国内を通る日食は一段落した。 アマチュアによる海外遠征が始まったのは1968年のシベリア日食からである。以来、1970年、72年、73年、74年、 そして76年と海外遠征は続く。

 しかしこの時期、海外にまで出かけるアマチュアの数はごく少数であった。そして、その少数のために充分な情報を提供する ルートはまだなく、現地の情報・日食の状況等を把握せずに出かける例も見られたのである。 また、海外で日食は見たいが、いつどこであるのか、どうしたら行けるのか、ということがわからない人も、実際に多かった。

 そのような状況の中、1977年、ハワイ沖で皆既日食が起こる。そして、皆既帯が陸上にかからない日食なので、 飛行機で観測しようという計画が持ち上がった。ジェット旅客機のチャーターも済み、うまくいけばわが国初の、 アマチュアのチャーター機による機上観測が実現するはずであった。しかし、この計画は参加人数不足のため中止となり、 改めて前述のような情報不足の状態が認識されたのである。

 そこで、一旦休止していた「日食情報」誌を復活させ、定期的にアマチュアに向けて情報を流すことが計画された。 そして、そのための機関として、日食情報センターが設立されたのである。

 「日食情報」誌の内容としては、日食の天文学的条件はもとより、観測できる地域の現地情報、保健衛生対策、 観測機材や観測法、文献紹介の他、ツアー情報や観測レポートなど、広範囲に扱うことにする。そして、日食情報センターは、 純粋・公平に情報の提供だけを行うものとし、いかなる営利企業とも共催・後援はしないことにする。

 また、スタッフの負担にならないよう、年間3〜4冊の発行とし、発行日もそのつど合議で決めるという柔軟路線を取ることにした。

 最大の難点は経済的なものであった。果して需要はどれくらいあるのか。発行経費はどのくらいかかるのか。 原稿はどのようにして入手するか、等々。結局、購読者数は100名から200名程度と見込んだ。また、 できるだけ安い印刷所をさがして経費を押さえ、たとえスタッフであっても必ず購読料を支払って「日食情報」誌を手にすることに決めた。 原稿はなるべくスタッフが作る。また、外部の方にお願いするときにも原稿料は出さず、「日食情報」誌を渡すだけにとどめる。 という、いささか虫のいい方針を決め、ようやく1978年1月29日、第1号の発行にこぎつけたのである。

 先に述べたように、「日食情報」誌の内容はなるべく広範囲に、しかも実際に観測に出かける人に役立つように心がけている。 さらに、印刷物だけでは情報の伝達や交換に限界がある、という考えで、ほぼ毎年、報告会・勉強会等の会合を開いてきた。 幸いなことに、毎回150人から200人を越える人々が集まり、好評であった。

 年を追うにつれて日食観測経験者が増え、その影響で、さらに新しい日食経験希望者が増えつつある。 特に87年の金環食以来、爆発的に日食愛好者が増えた。また旅行業者の間でも、日食ツアーは完全に商業ベースに乗ることがわかり、 日食観測(観望・観光)の様相がずいぶん変化してきている。それに伴い、様々な問題点も出始めている。

 ミニコミにすぎない「日食情報」ではあるが、今後、新たに取り組んでいかなければならない課題はますます多いと言える。

第23回国際天文学連合総会記念「日本天文学の成果」CD-ROMより


2010 Solar Eclipse Information Center